タキタロウ

タキタロウ伝説と朝日連峰山開き


読売新聞 2000年6月3日より
今は昔 民話を訪ねて   

怪魚タキタロウ
(朝日村)
 朝日村の山奥に、大鳥池という大きな湖がある。周りを高い山々に囲まれたこの湖には、昔から怪魚「タキタロウ」が住むと言われている。

 地元の言い伝えではでは、タキタロウは暗雲を呼び、嵐を巻さ起こせる。捕らえようとすれば、洪水が村を襲い、田畑に害を及ぼすとされる。

 ある日、イワナ漁に行った若者が帰らない。村人が捜しに行くと、湖面に糸の切れた釣り竿だけが浮いていた。

 小舟で漁に出た村人は、突然の大波に姿を消した。怪魚に小舟を襲われ、命からがら逃げ帰った村人もいる。

 近くの川の水が枯れた時は、上流でタキタロウの死がいが流れを止めていた。腹を裂くと、食べたカモシカが出てきた。

 こんなことから、「呑魚(ドンギョ)」の別名もある。また、山菜採りの村人が湖に流れ込む沢で、いぴきを聞いた。

 見るく七尺(2.1m)はある大魚が水中で寝ていた。「あっ」と驚さの声をあげるく魚はぎろりとにらみつけ、急流に消え去った。

 

目撃情報で捕獲作戦

 人里から遠く離れた朝日村の大鳥池に残るタキタロウの伝説が,一躍脚光を浴びたのは、1982年7月の目撃情報がきっかけだった。新潟県境の以東岳(1771m)を登っていた四人組が、朝もやの漂う眼下の大鳥池に、巨大魚を見つけた。距離にして約300m。双眼鏡でのぞくと、逃げ回る魚群を黒い魚影が追っていた。「五、六四の大魚が、水面にV字形の波を引いて、反時計回りに泳いでいた。湖岸の草本と比較すると、体長2mはあった」

 目撃者の一人、元朝日村職員の小野寺一郎さん(66)は振り返る。4人全員が「あれが言い伝えのタキタロウだな」と直観した。情報は、たちまち村内を駆け巡った。大鳥池は、標高1000m近くにある周囲3.2Kmの山形県最大の湖で、水深は68mにも及ぶ。江戸時代の記録によると、池の主のタキタロウは五回も洪水を起こし、ふもとの集落を襲ったという。タキタロウの正体は、巨大イワナ、ヒメマス、古代魚など諸説あり、陸封されたイトウとする説も根強いが、確かめられたことぱない。
 目撃の翌83年、朝日村は調査団を結成して伝説の怪魚探しに乗り出した。総勢ご30人。魚類、地質学の専門家や地元住民に、小野寺さんら四人も加わった。調査が始まると、昭和初期から終戦直後にかけ、村内に多くの目撃事例があることが分かった。
 「丸太のような魚が見えたので投網を打った。2人が水に飛び込みょうやく引き上げた。体長が1.6mあり、体の表面には厚い脂肪層があった」
 「学術調査で沖に出た時、舟を囲むように数匹のタキタロウが現れ、赤い口を開けて追いかけてきた」
 「釣っだイワナを追って、馬ほどもある魚の顔が浮かび上がった。竿を投げ捨て、山を駆け下りた」
 事例は、タキタロウの食欲がおう盛になるとされる秋ごろに集中していた。

 同年九月の捕獲作戦で、幻の怪魚に、初めて科学のメスが向けられた。大鳥池にボートを浮がべ、音響探査機で魚影を追う。釣り竿を並べ投網を打ったが、手掛かりはなかった。84年9月の調査で、3日目、探査機は水深20から40mを泳ぐ巨大な魚影を映し出したが、姿は見えずじまい。そして3年目。みぞれが降る10月末、水中カメラと刺し網も用意された。体長70cm、5.6Kgの魚を捕らえたが、捕獲経験のある村人は「顔が違う」と鑑定した。結局2年目の探査機の魚影を根拠に、「タキタロウは生息する」と結論付けて調査は幕を開じた。

「湖面の騒々しさを横目に、タキタロウは水中深く潜んだのでしょう」と、小野寺さんば話す。朝日連峰は、五月二十八日に山開きした。調査終了後の86年から、山開きは「タキタロウまつり」と名付けられ、村随一のイベントとしてにぎわう。この日は、調査団メンバーが年に一度再会する日でもある。 アイツはどうしているだろう−…。
 調査団の面々が思いを巡らす大鳥池は、例年にない大雪でまだ3mを超す雪に覆われている。
 (山形支局 大須賀幹一)

(2000.06.3 読売新聞記事より)


                                    
更新日2000年6月18日