新潟の水辺だより Vol.41 コラム

自然へのまなざし(3)


 映画「越後奧三面−ふるさとは消えたか」(監督・姫田忠義)を見る機会があった。二万五千年の歴史が折り重なった奧三面の集落がダム建設のため移転する経緯を淡々と記録した映画である。川原石に人体像を刻んだ岩偶の美しさと、巨大な重機械が藁葺き屋根の民家をいとも簡単に壊す映像が、対比的に印象に残った。

川は地球における物質循環の担い手

 この映画を見ながら、私は土木工学者として戦慄を覚えずにはおれなかった。それは、ピラミッドや屋久島の縄文杉より長い時間自然と共生してきた集落を、誰の許しを得て消滅させられるのか、そんな権限をいつ土木技術者は付与されたのか、と疑わざるを得なかったからである。
 奧三面集落の歴史的・文化的価値は、皮肉にもダム建設に伴う発掘調査によって明らかにされてきたのであるが、研究が進めば進むほど、人類の世界遺産としてもおかしくない貴重性が増してきた。この貴重性がもう少し早くから分かっていたならば、ダムを造らず済んだかも知れない。それを、何も知らず、またそれを強く知ろうとしなかったがゆえに、ダムに水没させてしまうのである。ダムサイトを選定した土木技術者も罪つくりなことをしたといえる。今後少なくとも、大学の土木教育では、治水や利水の現世的利益だけでなく、歴史哲学や環境倫理学も研究教育しなくてはならないと痛感させられた。


←岩船朝日村元屋敷で出土した約3000年前の岩偶(写真提供:民族文化映像研究所/新潟日報夕刊96.8.28掲載


 ところで、三面川は鮭が大量に回帰する自然な川として全国的につとに有名である。しかし、三面川本川上流には、この奧三面ダムの他にすでに三面ダム、猿田ダムが建設されており、本来の自然な川とは言いがたい状況にある。三面川が自然な川としてその命脈を保っているのは、支川の高根川が健全であるからではないかと考えている。高根川は、最上流に日本の滝百選に選ばれた鈴ヶ滝があり、ブナ林の中を美しく流れ、三面川の下流で合流している。すなわち、源流での落ち葉が海にまで達することができる川なのである。
 健全な川とは、このように山と海とが結ばれ、重力の法則によって流下した水や土砂や落ち葉がさまざまな生物の生息を助け、それが食物連鎖を通じて鮭や鮎あるいは鳥などに形を変えて川を遡り、飛行して、再び山に還元される、そういう川のことと考えている。
 もともと、地球には水の一大水循環があるが、それと同じように、生物の食物連鎖によって一大物質循環が形成されているのである。おそらく、重力に反して飛び上がれるものは、小さな昆虫といえども、水の蒸発に似た役割を果たしているのであろう。釈迦は「一寸の虫にも五分の魂」と説き、小動物の殺生も禁じているが、こうした生物による地球の物質循環を見透していたからではないかと推察している。川は、この地球における物質循環の一翼を担っており、山と海の生態系を結ぶ回廊ということができるのである。

ダムのない自然な川は絶滅危急種

 こうした川に巨大なダムが建設されると、どういうことになるであろうか?。魚の上下が阻止され、生態環境が悪化するのは誰もが気づく。さらに、流下するものはすべてダムに溜められ、落ち葉は腐ってヘドロ化し、土砂はいずれダムを埋めつくし、その機能を喪失させることになる。また、ダムの下流は土砂の供給が断たれ、河床が低下し、河口付近の海岸浸食も進む。すなわち、ダムは川のもっている物質循環という重要な役割を遮断してしまう存在なのである。
 ダムの歴史そのものは紀元前三千年のエジプトに始まるが、川の物質循環を遮断するような巨大ダムの建設は近代技術が登場してからのことである。ダムは利水や治水にあまりに強力であったため、弊害を先送りする形で、世界中で無数の巨大ダムが造られてきた。20世紀はダム文明の時代といっても過言でない。しかし、最近になってダムの弊害が認識され、ヨーロッパやアメリカでは巨大ダムの建設が中止されるに至っているのである。
 日本では、1900年以来3000基に及ぶダム(15m以上)が造られ、これからまだ500基以上の建設が必要とされている。これを逆に見るならば、日本では、ダムのない自然な川は、すでにほとんど存在せず、レッドデータブックに載せられるべき絶滅危急種ということができるのである。
 新潟県下でも、ダムのない川はもう数えるほどしかない。高根川にもダムの構想があるが、三面川を自然豊かな川として保全するためには、土木工学者としては言いだしにくいのであるが、ダムを造らないことであると提言しておきたい。

大熊 孝
新潟日報連載文より、月1回掲載中)
新潟の水辺だより Vol.41

WebMaster@新潟の水辺を考える会


                                
1997年5月31日